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お盆なので再び「お仏壇」について考える

今回は、お盆が近くなってきたので、お仏壇について解説します。

私が今回お仏壇の話をもう1回語りたくなった理由が2つあります。その1つが、最近すごく引き合いに出している、大島健二先生の「住まいかた解剖図鑑」のテーマにも触れられていたことです。もう1つは、先日東京タワーのそばの増上寺をお参りをして、ご本尊のそばに座らせてもらって少し考える時間があった時に考えたことです。

個人的な話で恐縮ですが、娘が最近結婚を考えているようなんです。いよいよ嫁いでいくか、親元から離れて、一人前に人生のパートナーと飛び出していくのか、などと考えた中で、お仏壇・お墓のことを考えたんです。私は長男坊なので、基本的には私がお墓・仏壇を管理せねばならぬ、そう使命を受けていると勝手に思っているんですけど、うちの子どもは娘です。養子に来たいと言われたらウェルカムですけど、娘が嫁ぎたいと言ったらどうぞどうぞ、と思っている父親なので、お墓・お仏壇の後始末というか、行く末を本当にリアルに考えないといけない歳になったんだと、しみじみと考えたんです。

みなさんそうですけど、若い頃は全然気にしないと思います。でも親が亡くなる歳が近づいてくると、仏壇・神棚・お墓とか、そういうものをきちんと整えておこうとか、1つ行く末の方向性を出しておこうということが、結構出てくるんじゃないかなと思います。

例えば、家づくりで間取りを考えたり、リノベ・リフォームなどを大規模にやって間取りをいじったりする時は、こういうことに対するスペースも考えておいていいんじゃないかと、私は思います。「そんなこと言うけど、うちの家は総二階だから、神棚を作ったり仏壇を置くところもなかなかないんです」とおっしゃる人もいます。確かに基本的には、お仏壇・神棚の上に人が乗ったり、歩いたりするのはよくないとよく言われます。

でも例えば、これも詭弁かもしれませんけど、空・雲・天などという字を書いた紙を天井面に貼りつけておけば、そこは仮想で空になったということで、仏様神様にお許しいただくという考え方もあります。そういうことも踏まえて考えていいんじゃないかと思います。今日は大島先生の話の受け売りかつ、それにインスパイアされたことで、お仏壇のことを語っていきます。

まず、お仏壇というのは基本的に、お仏壇たりうる構成要素があります。その一番がご本尊です。例えば、私の家の仏教は真言宗なんですけど、真言宗は大日如来様です。我が家にも、絵のようなご本尊が彫刻されたものがあります。臨済宗では南無釈迦牟尼仏、浄土真宗では阿弥陀如来様がご本尊です。特に浄土真宗では、おりん(チーンと鳴らすやつ)・りん棒・仏飯器(ご飯を仏様に供える什器)なども合わせてご本尊と言われています。

また、私はご本尊には位牌も含まれると思っています。ご位牌とは、戒名(死語の名前)が書かれたもので、お1人タイプのもの・ご夫婦タイプのもの・箱タイプのものなどもあります。古い旧家ですごく祖先が多いような場合は、小さなお札に戒名を書いたものを箱に入れています。それから、ちょっと変形ですが、遺影もあります。私も、30年以上前に亡くなった父の写真をいまだに仏壇に飾っていますが、こういったものも合わせて、僕は「ご本尊」と言うんだと思います。

あとは、仏具的に言うと三具足というものがあります。仏花を供える花立て、お線香を立てる香炉、ろうそくを立てる火立ての3つのことを言い、花立2つ・火立2つ・香炉1つの場合は五具足と呼ぶそうです。これ以外にも、例えばお茶・お水や、好きだった飲み物・お菓子などを供えたりしますけど、こういうものも、お仏壇の基本構成要素なのかなと思います。

つまり、絢爛豪華な大きなお仏壇そのものは、あれはあくまで工芸品・装飾品であり、家具なんです。お祀り・ご供養する対象は、ご本尊・位牌・三具足と言われるものなんです。こんなことを言うとお叱りを受けるかもしれませんが、本質はそうじゃないかなと、私は思います。

そういう意味で言うと、これからは子どもの少ない時代ですから、嫁いだ娘でさえも、自分の両親の供養は自分の家として行いたい、旦那さんのご先祖も、自分のご先祖も大事にするということが多分自然になっていくんだと思います。だとしたら、お仏壇のスペース問題は大きいですよね。

小さなものでも、大きな豪華なものでも、丁寧なご供養をされているわけです。将来の子孫たちが、その範囲の中で自由に・状況に応じて選択をすることは、絶対に悪いことじゃないと思います。お仏壇に関して、厄介なものだと思わずに、ご自分のご先祖様をお祀りしてあげるということは、どこかで生活の中に入れていただいたらいいと思います。

お仏壇を考える時に言われることで、「お仏壇って方向をすごく言いますよね」ということがあります。確かにそうで、これはよく言われます。代表的な仏壇の向きの考え方をご紹介します。例えば曹洞宗・臨済宗では、敬うべきもの・尊いものは南の方を向かせることが大事だという考え方があります。浄土真宗・天台宗・浄土宗では「西方浄土」という考え方があって、西の方に浄土があり、そこに仏様があるから、その仏様が向くのは東という考えで、仏壇は東側に向けます。

でも、最近気づいたというか、改めて教えていただいたことがあるんです。私は真言宗なんですけど、真言宗はどっちに向けて置いてもいいというんです。どういうことか聞いたところ、真言宗の教えとしては、仏壇の前で拝んだ時に、本山、つまり真言宗では高野山の方を向いて拝むような形になれば、それが一番目指すべき姿なんだそうです。これを聞いて、私の家と高野山の位置関係を確認したところ、高野山は我が家から見て南東方向でした。ということは、仏壇は北西を向いているということなので、教えに背いてないようです。これを聞いたら親父は喜ぶかもしれないと思いました。

何が言いたかったかというと、自分に都合のいいことを利用したらいい、と私は思うんです。さっきの、天・雲と書いた紙を貼ったら免責、というのを、こじつけだと笑う人もいるかもしれません。でも事実そうやって、これを知恵として苦しみ抜いて、そんなことより大事なことはご先祖に感謝することだ、とおっしゃった偉い人がいっぱいいるわけです。いろんなことを言われると思いますけど、あんまり堅苦しく思わずにやったらいいんじゃないかとすごく思うんです。

最後に、今日一番言いたかったことを言います。師匠との会話で、次のようなことを言われたんです。

師「お墓とかお仏壇にお参りすることは、すごくいいことなんや。それは道徳的に言ってるんじゃないんや」
私「道徳的じゃないんですか?宗教の戒律でもないんですか?」
師「そういうことでもないんや。それには効能があるんや」
私「哲学的ですね。どういうことですか?」
師「お墓・お仏壇に向かったら、大体みんな「今年も1年なんとか無事に過ごせました」「あんなことやこんなことがあったけど、妻の助けのおかげでなんとかやりくりできました」などと言って振り返るんや。「こんなことがありまして」とか言って近況報告したりするやろ。この振り返りをすることが、自己の認知能力をすごくアップするんや」
私「いや、そんなこと考えたことなかったです」
師「笑ってるけど、ホンマそうなんやで。君は何気なく、おじいちゃん・おばあちゃんに躾られて「お仏壇でチーンと鳴らしてのんのんしてき」とか言われたかもしれないけど、そこにはそういう深い意味があるんや」

師「もう1つあってな、仏壇・お墓の前で手を合わせて、何とかやらせてもらってます、と感謝をしない人間は少ない。この世に生まれて、生んでくれてありがとうございました、などと言うことは、取りも直さず自分自身を肯定するということなんや。簡単に言うと、自己肯定感が高まるんや。だから、丁寧にお花をいけたり、お水をあげたりして、心を落ち着けてお参りするということは、すごく素敵なことなんやで。だから大いに、その感謝を含めて、人生に利用していきなさい」

私の師匠は、道徳的なことは一切言わない人なんです。そんな人がそれを言った時に、私は「そういうものか」とすごく思いました。

そんな風に純粋な気持ちでお仏壇を考えてもらうと、ちょっと素敵なのかなと思いました。ぜひ参考にしてください。

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