父の代からお世話になった、弊社のOB社員が亡くなったことを知りました。81歳眠るがごとくの穏やかなお顔の大往生だったと、ご家族からお話を聞きました。
その人は、もともとタクシーの運転手さんでした。人手が足りなかった創業期に、父が無理を言って入社してもらいました。
小さな体で腕力は強いほうではなかったですが、運転はお手の物。大型ダンプからマイクロバス、シャベルカーと、どんな乗り物でも操れる人でした。
律義で器用な人で、ちょっとした大工工事はもちろん、土木工事、左官仕事などもこなせて、「これは出来ない」と言わない、今でいう多能工のはしりのような人でした。
大きな工事現場と違い、町屋の工事現場は細かな工事が少しずつ必要です。個人のお宅の工事ゆえ予算には限度もありますので、その都度専門の職人さんを呼ぶと割高になってしまうので、とてもありがたい存在でした。
弊社の社員が5人10人と増えていくようになっても、その人は、雑用のような仕事から、真夏や真冬のしんどい辛い作業もいとわず、ずっとコツコツ現場の人でした。
その人は、口の悪い人でした。ケンカっぱやいところもありました。でもやんちゃ坊主のようで憎めない。若い頃には弊社のムードメーカーで、年長者になってはアイドルでした。
親父が急逝して、この仕事を続けていけるか不安で仕方なかった時、「この世で起きたことは、この世で納まる」って言って、背中をドンとたたいて励ましてくれました。
70歳近くになり、さすがに現場で危なく感じることが増えた時も、「迷惑かけんうちに、現場上がらしてもらうな」と、引き際も、とてもキレイな人でした。
退職後も、見学会などのイベントに顔を出してくれて、「忙しそうでなによりや」といいながら、足元の草を刈ってくれたりして、いつまでも弊社やスタッフを気にかけてくれる人でした。その顔を見ると、いつもあったかい気持ちなりました。
今、自分の心にぽっかりと穴があいた気持ちです。
「長い間、ほんまにお世話になりました。ありがとうございました。」元気な時に、いっしょに温泉でもつかりながら、お礼がいいたかったです。
あなたにも、いつも身近にあって“在ることが当たり前”のように思っておられる人はいませんか? もし、何人かの方のお顔がうかぶなら、二度とない親しい方との交流を、大切にしてください。私も、お祭りで皆が集まる今月、大事にすごしたいと思います。