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4人家族で住める最小限住宅。萩原修さんの「9坪の家」

今回は4人家族で住める最小限住宅、萩原修さんの「9坪の家」について解説します。

いわゆる最小限住宅と言われる「9坪の家」という有名な家があります。最近コンパクトな家が素敵だと言う若い方も増えていて、これからの家づくりに参考になると思います。

萩原修さん著作の「9坪の家」という本があります。こういう本は建築家の人が自分の家・作品を語ることが多いですが、この本の著者はお施主さんで、設計者は別にいらっしゃいます。

9坪の家は、1階の面積が3間×3間(5.5m×5.5m)で9坪です。2階には吹き抜けを挟んで床面積が6坪あり、延べ床面積は15坪(約50㎡)です。50㎡というと2DKぐらいの大きさで、すごく大きな面積ではないです。

「9坪の家」を作るにあたっては、お手本にした家があります。それは1952年、今から72年前にできた家で、増沢洵さんという建築家の方が設計された、ご自分の家です。当時増沢先生は4人家族で住まれた家で、「自分たちが考える最小限住宅とは何か」をすごく考えて作られた家です。

増沢先生は誰でも知っている著名な建築家ではなく、知る人ぞ知る存在です。古くは、吉村順三先生という住宅設計の超巨匠がいて、吉村先生の師匠がアントニン・レーモンド先生です。建築の三大巨匠の1人であるフランク・ロイド・ライト先生が、日本の帝国ホテルを設計する時にパートナーとして連れてきた先生です。

そのレーモンド先生が日本に構えた事務所で働いていたのが、吉村先生と増沢先生です。もっと巨匠の方では、巨匠ル・コルビュジエの弟子である坂倉準三先生・前川國男先生も、その事務所にいました。近代建築(モダニズム建築)を日本に広げてくださった方々がいたのがレーモンド事務所で、増沢先生はどれだけ熱い理想のもとで極限まで設計したかがわかる先生です。そしてその増沢先生の自邸が、萩原さんが「9坪の家」を作るにあたり参考にした家です。

1階はたった9坪、延べ床面積は15坪しかない家で、増沢先生は4人家族で17~18年ぐらい住まれました。その後、増沢先生はそこを離れて違う所で暮らしますが、その時に部下の淀川さんに「私のこの家を解体して、どこかに移築して建てろ」と言ったそうです。すごい師弟関係ですよね。このお家は今も現存していていたと思います。

何が言いたかったかというと、「9坪の家」はものすごく設計を突き詰めた人たちが考えに考え抜いた最小限住宅だということです。「小さな家はここに極まれり」という、家のプロトタイプなんです。15坪の家でも、実際に子持ち家族がここで生き抜いた家だということを知ってほしいです。

萩原さんは建築のプロではなくて、展示会をコーディネートする会社の社員だったそうです。自分が担当したイベントの中で、増沢先生の最小限住宅の骨組みを再現する企画があり、再現された骨組みを見て心を射抜かれたそうです。9坪の家は、そういう流れでできているんです。

これを受けて萩原さんは、小泉誠さんというデザイナーの方に依頼して、増沢さんの家を再現して設計してもらいました。設計されたのがこの絵の家です。一辺が5.45mの真四角の2階建てで、2階の南側の一部は吹き抜けになっています。南側には大きなデッキがあって、2枚の引違いの大きな窓を介して部屋があります。畳数でいうと18畳ぐらいです。畳の部屋は1段上がっていて、階段があります。階段は、今をときめくリビング階段の原型みたいな感じです。2階はガランとしたオープンなスペースです。1階にはキッチン・トイレ・洗面・洗濯機・比較的小さなお風呂があるという構成です。

萩原さんには、奥さまと2人の娘さんがいました。上の子がすみれちゃん、下の子があおいちゃんで、だからこの家は「スミレアオイハウス」と言うんです。

この家は、家を作っていく過程でもいろんな物語があって、この本はすごく素敵な物語なので読んでみてください。今でも売っているのかはわかりませんが、古本はあると思います。小さな家を標榜している方や、反対に小さな家を全否定してる方がいたら、そんな人にこそ読んでほしいです。いろんな物語とともにこの家の素晴らしさがいっぱい書いてあります。

そして、この家のマスタープランを考えた増沢先生は、1952年(昭和27年)にこれを考えるときに、3つの視点を持たれたそうです。1つ目が「豊かな空間を作りたい」。2つ目が「最新の設備を使いたい」。3つ目が「新しい生活の提案をしたい」です。未だに私たちはこの3つを大切に思っています。そのことを1952年、今から72年前に考えていたんです。めちゃくちゃモダンなんです。

ここでは「豊かな空間」は、吹き抜け空間のことを言っています。今でも吹き抜けはあまりないし、吹き抜けのない家の方が多いぐらいです。当時の吹き抜けに対する印象はすごかったと思います。

そして、当時は和式便器が多かった中で「洋風便器を使おう」「お風呂をちゃんと作ろう」と言っていました。この時代は家にお風呂はなくて、ほとんどみんなが銭湯に行った時代です。

また、今でいうLEDみたいな感じで、電球ではなく蛍光灯を導入したり、新しい生活の提案で「接客重視の玄関はいらない」「家族中心の家にしよう」とも言っています。家族中心という概念をここに持ってくることがどれだけ画期的だったかというのは、今日だけでは語り尽くせないので、また違うところで喋りたいと思います。

そして畳をなくしてベッドにしました。畳に布団を敷いて寝る時代に、ベットがいいと言うこと自体が、新しかったんです。当然居間も、ちゃぶ台ではなく椅子・テーブルの暮らしです。

萩原さんは家を建てた当時、まだご存命だった増沢さんの奥さんに「実際のところ15坪の家はどうだったんですか?」と聞いたそうです。すると奥さんは「すごく楽しい暮らしだった」と、あの家で2人の子どもを育てたことを嬉しそうに話したそうです。

「スミレアオイハウス」を私が紹介したかったのは、この面積感の中でも豊かな暮らしが過不足なくできることを、こういう家の経験を通じて感じてほしかったからです。

萩原さんが見つけた土地は28坪で、ここに9坪のお家を建てました。萩原さんは1989年に結婚して、この小さな家を求めたのは、バブル真っ盛りから終わった直後ぐらいの、日本が調子に乗っている時代でした。その時期にこの家を建てたのが、萩原さんは素敵な人だなと思いました。

土地を探す時は、プロトタイプの図面を持ちながら探したそうです。「それはまさにル・コルビュジエが、小さな家と僕が紹介している両親の家を、プロトタイプの設計を作ってから、この家を一番良い配置ができる、母・父に一番喜んでもらえる土地を探したように探した」ということがこの本に書いてあって、余計にドキドキしました。

そして土地が買えて、そのプロトタイプの間取りでいくかと思ったら、やっぱり子ども部屋がいるよねと増築を考えたり、いろんなことを考えて面積を増やそうかと思ったり、萩原さんはすごく悩んだみたいです。良いと思って始まったけど、実際に考えた時にはやっぱり悩むし、気持ちが揺らいでしまうそうです。

最終的に萩原さんご夫婦は、ル・コルビジェの愛弟子である前川國男先生の自邸を見に行きます。前川先生のお家はもっと大きくて素晴らしい家ですけど、その家にはプロトタイプの家と同じような感じでリビング階段があって、その階段の下にはドアがあったそうです。そのドアを見た瞬間に、奥さんは腑に落ちたそうです。

結局最後、スミレアオイハウスは、靴脱ぎといってもいいくらいの小さな玄関を階段の下に設けます。増沢さんのプロトタイプは玄関がないような作りになっていますが、いろんなことを考えて自分好みに寄せながら、9坪の家が萩原さんご家族の家になっていきました。

これから家づくりを考えていくにあたり、理想の家を追求するほど家は大きくなる傾向があり、お金もかかります。同時にこの本を読んでみると、大きな家は大事なものが薄くなってしまうという感覚なのかなとも思います。そして萩原さんは、2つの質問を投げかけられているとおっしゃっています。1つ目が「あなたはどのような生活したいのか」、2つ目が「誰と、どこで、どんな家に住みたいのか」という質問です。そうして行き着いたことが、生活に必要なものとそれにちょうど良い収納の大きさを考えることと、「テレビも車もない生活を選びたい」ということだとおっしゃっています。

1990年代にテレビ・車が要らないというのはすごいですよね。そこに奥さんが共感してくれたのは、なおすごいと思います。奥さんもそれまでは高円寺の2DKのアパートに住んでいたんですけど、そこが53㎡だから家は3㎡が小さくなるんです。家が小さくなることに抵抗感を感じる中で行き着いたのが、「○○DKという言葉に惑わされるんじゃなくて、家は限りなくワンルームで良いんじゃないかと思った」ということだと書かれています。この人は建築家みたいに突き詰めて物事を考えている人なんだなと、すごく驚きました。

実はこのお家は今も三鷹市にあり、「スミレアオイハウス」という名前の泊まれる家なんです。実際、私も現物は見たことがないので、一度女房と一緒に行って、泊まってみたいと思っています。

みなさんには実際にこの家を見てもらって、サイズ感が先入観であることを知ってほしいです。小さくても豊かな暮らしができることを感じてもらいたくて、今回説明させていただきました。

最後に、萩原さんがこの本の中で紹介している藤原智美先生という方が「家をつくるということ」という有名な本を書かれているんですけど、その本の副題が「後悔しない家づくりと家族関係の本」という名前です。そこで藤原先生が書かれている、萩原さんも紹介している一節を紹介します。

「家をつくるということは、家族のほつれた糸をほぐし、切れかかった糸を新しくすることが可能な、唯一なものに見える。「家族を作り直す」ことでも(家づくりは)あるんだろう」

つまり、「私たちはどんな生活していきたいのか」「誰とどこでどんな暮らしぶりをしたいのか」ということを考えることが大切です。それが「家族との関係性を作る」ということです。恐らくこの9坪の家は、家族仲が良くないと住みにくいと思います。でも家族の仲が悪くてもいいじゃないですか。私も家族の仲は良い方が良いと思って育ってきましたけど、「仲良くならなければいけない」というのも1つの呪いです。綺麗事ばかり言うつもりもありません。しかし、もし家族を作り直すこと、より良いものになっていくことに家づくりが関わっていくなら、突き詰めた家を通してならできる気がします。

最後に補足です。図の2階には赤の点線を書いていますが、娘さんたちが年頃の頃には3畳ぐらいの個室を作り、机は外に出してスタディールームにした時期もあったようです。私は、子ども部屋に勉強机なんかいるのかなと思います。受験期以外の勉強はながら勉強で、人の気配を感じながらやるのも素敵だと思います。こういうことを60~70年も前に考えている日本人がいて、1990年バブル真っ盛りの頃に、家族・子どもにそれを与えたいと考えたご夫婦がいたことは、非常に先駆的だと思います。これからの家づくりをもう1回考えるにはすごく為になると思います。ぜひ参考にしてみてください。

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